昨日は第6回福井県少年柔道オープン錬成大会が県立武道館で行われ、6年生にとっては最後の試合ということで熱戦が繰り広げられました。
幼年から6年生まで学年別の個人戦トーナメントで争われるこの大会、うちの坂井町柔道教室もほとんどの子供たちが出場し、3位2名、優勝1名とまずまずの成績だったのではないでしょうか。
優勝したのはうちのキャプテンで6年生のH本くんです。
県外から来た強豪を抑えての優勢勝ちでした。
優勝が決まった瞬間、感激の涙。
やはり苦労してここまでたどり着いたのでしょう。
小学生にしてこんな涙が流せるなんて本当にたいしたものだと思います。
3位の2名は同じ6年生のY木さんと5年生で次期キャプテンのG河くんです。
Y木さんはうちの指導者Y木先生の娘さんで、これまでH本くん同様、柔道にひたすら多感な時期を捧げてきました。親から見れば値千金のかけがえのない銅メダルだったでしょう。
同じく3位のG河くんも運動神経抜群ながら小柄な体格のせいでこれまで涙を呑むことが多かったのですが、今回の大会前に頭を5厘に刈り上げて臨んだ意気込みもあり、堂々の3位でした。
5年生でありながら体重30キロ台の小兵は柔道では大きなハンデです。
そのハンデを乗り越えた気迫はうちの娘たちも見習ってほしいものです。
さて、肝心のうちの娘たちですが、長女のマオは予想通り1回戦負け。
次女のリオは頑張って3回戦まで進出、ベスト8といった結果でした。
マオの柔道は腰が引けていて、前に煽られると立っていることが出来ず簡単につぶれて亀の状態になってしまいます。
組手争いも自分がいいところを持とうとする組手争いではなく、ただ相手の組手を嫌ってはたいているだけではっきり言って柔道になっていません。
日頃の打ち込みでは進歩を感じるものの、試合になると全くダメな方に自ら行ってしまっています。
確かに自分よりもキャリアが明らかに上だとわかると萎縮してしまいがちですが、そういう試合がこのところ続いています。
こうなると試合を重ねることで逆に弱くなっていくでしょう。
これまで実力が伴わないにもかかわらず、人が足りない理由で簡単に試合に出しすぎたのが裏目に出ているのかもしれません。
指導者のY木先生にも先日の羽咋の試合で言われましたが、「次につながらない」のです。
普段の練習態度から改める必要がありそうです。
今後のことを考えさせられました。
リオは2回勝って3回戦進出、というと聞こえはよいのですが、試合内容は全く褒められたものではありませんでした。
技を出すもののどれも掛かりそうにない技ばかりです。
攻勢の姿勢を評価されての優勢勝ちばかりでした。
最後の3試合目は、相手の大外刈りの刈り足はかわしたものの、上体の崩しだけで1回転してしまっての一本負けでした。
リオは指導のY木先生に言わせると「受けが強い」ということです。
しかし受けてばかりではたとえポイントを取られなくても勝てません。
受けの合間に攻撃を見せるのですが、そのどれもが言わば「掛け逃げ」の状態になっているのです。
相手の攻撃を止める効果はあるようですが、投げることはできません。
あと「受け」についてですが、相手との距離を一定に保つバランス感覚は見るべきものがあるようです。
それだけなので、体格で明らかに差がある相手には「受けの強さ」も通じず、一本負けしてしまうのです。
まだまだ柔の道は険しいと言わざる負えません。
マオはさておき、リオについては確実な技を教えることで目に見える成果が得られそうなので、明日につながる結果であったと思います。
しかし、柔道とは相手もあることですし難しいものですね。
今日、おやじのおやじ、すなわち私の父に試合のビデオを見せたところ「こんな柔道では10年やってもあかんわ。」とつれない返事。
あっけにとられ、その後むかつきました。
よく考えてみるとうちのおやじは柔道の素人なのです。
素人が柔道の試合を見てよく「技が出ない」とか「自分の組手なのに技に行かない」とかぬかしてますが、技に行かないのではなく、行けないのです。
そりゃそうです。
相手だって投げられるのが嫌だから一生懸命腕を突っ張って相手が入ってこれないように防御しているのです。
そこで必要になってくるのが、「崩し」と「作り」なのです。
その2つの工程を経てようやく「掛け」に行くことが出来るのです。
そして「崩し」と「作り」は傍から見ていて非常に分かりずらいことが多いのです。
そのくらい微小な動作、力の入れ具合の変化なのです。
従って、教えにくいと言えるのです。
おそらく柔道の才能があるといわれる者たちは、この「崩し」「作り」を誰に教わるでもなく肌で理解し、実践できる者達なのでしょう。
そういう自分、このへたれ柔道おやじもまだまだへたくそといえる領域なのですけれど。
そこで、万人が技に入れるように工夫されたのが「連絡技」です。
これは、技を掛けること自体が「崩し」になり、その後連絡する技の「作り」になるというものです。
そういえばリオも煽って崩すだけでは技に入れないことが試合中分かったのか、後半では大内から背負いの連絡技を拙く繰り返していました。
もう少し一生懸命技を教えてあげればよかったと、これを書いていて切なく思われます。
子供たちに「ごめんなさい」と言わなければならないのはおやじの方でした。
幼年から6年生まで学年別の個人戦トーナメントで争われるこの大会、うちの坂井町柔道教室もほとんどの子供たちが出場し、3位2名、優勝1名とまずまずの成績だったのではないでしょうか。
優勝したのはうちのキャプテンで6年生のH本くんです。
県外から来た強豪を抑えての優勢勝ちでした。
優勝が決まった瞬間、感激の涙。
やはり苦労してここまでたどり着いたのでしょう。
小学生にしてこんな涙が流せるなんて本当にたいしたものだと思います。
3位の2名は同じ6年生のY木さんと5年生で次期キャプテンのG河くんです。
Y木さんはうちの指導者Y木先生の娘さんで、これまでH本くん同様、柔道にひたすら多感な時期を捧げてきました。親から見れば値千金のかけがえのない銅メダルだったでしょう。
同じく3位のG河くんも運動神経抜群ながら小柄な体格のせいでこれまで涙を呑むことが多かったのですが、今回の大会前に頭を5厘に刈り上げて臨んだ意気込みもあり、堂々の3位でした。
5年生でありながら体重30キロ台の小兵は柔道では大きなハンデです。
そのハンデを乗り越えた気迫はうちの娘たちも見習ってほしいものです。
さて、肝心のうちの娘たちですが、長女のマオは予想通り1回戦負け。
次女のリオは頑張って3回戦まで進出、ベスト8といった結果でした。
マオの柔道は腰が引けていて、前に煽られると立っていることが出来ず簡単につぶれて亀の状態になってしまいます。
組手争いも自分がいいところを持とうとする組手争いではなく、ただ相手の組手を嫌ってはたいているだけではっきり言って柔道になっていません。
日頃の打ち込みでは進歩を感じるものの、試合になると全くダメな方に自ら行ってしまっています。
確かに自分よりもキャリアが明らかに上だとわかると萎縮してしまいがちですが、そういう試合がこのところ続いています。
こうなると試合を重ねることで逆に弱くなっていくでしょう。
これまで実力が伴わないにもかかわらず、人が足りない理由で簡単に試合に出しすぎたのが裏目に出ているのかもしれません。
指導者のY木先生にも先日の羽咋の試合で言われましたが、「次につながらない」のです。
普段の練習態度から改める必要がありそうです。
今後のことを考えさせられました。
リオは2回勝って3回戦進出、というと聞こえはよいのですが、試合内容は全く褒められたものではありませんでした。
技を出すもののどれも掛かりそうにない技ばかりです。
攻勢の姿勢を評価されての優勢勝ちばかりでした。
最後の3試合目は、相手の大外刈りの刈り足はかわしたものの、上体の崩しだけで1回転してしまっての一本負けでした。
リオは指導のY木先生に言わせると「受けが強い」ということです。
しかし受けてばかりではたとえポイントを取られなくても勝てません。
受けの合間に攻撃を見せるのですが、そのどれもが言わば「掛け逃げ」の状態になっているのです。
相手の攻撃を止める効果はあるようですが、投げることはできません。
あと「受け」についてですが、相手との距離を一定に保つバランス感覚は見るべきものがあるようです。
それだけなので、体格で明らかに差がある相手には「受けの強さ」も通じず、一本負けしてしまうのです。
まだまだ柔の道は険しいと言わざる負えません。
マオはさておき、リオについては確実な技を教えることで目に見える成果が得られそうなので、明日につながる結果であったと思います。
しかし、柔道とは相手もあることですし難しいものですね。
今日、おやじのおやじ、すなわち私の父に試合のビデオを見せたところ「こんな柔道では10年やってもあかんわ。」とつれない返事。
あっけにとられ、その後むかつきました。
よく考えてみるとうちのおやじは柔道の素人なのです。
素人が柔道の試合を見てよく「技が出ない」とか「自分の組手なのに技に行かない」とかぬかしてますが、技に行かないのではなく、行けないのです。
そりゃそうです。
相手だって投げられるのが嫌だから一生懸命腕を突っ張って相手が入ってこれないように防御しているのです。
そこで必要になってくるのが、「崩し」と「作り」なのです。
その2つの工程を経てようやく「掛け」に行くことが出来るのです。
そして「崩し」と「作り」は傍から見ていて非常に分かりずらいことが多いのです。
そのくらい微小な動作、力の入れ具合の変化なのです。
従って、教えにくいと言えるのです。
おそらく柔道の才能があるといわれる者たちは、この「崩し」「作り」を誰に教わるでもなく肌で理解し、実践できる者達なのでしょう。
そういう自分、このへたれ柔道おやじもまだまだへたくそといえる領域なのですけれど。
そこで、万人が技に入れるように工夫されたのが「連絡技」です。
これは、技を掛けること自体が「崩し」になり、その後連絡する技の「作り」になるというものです。
そういえばリオも煽って崩すだけでは技に入れないことが試合中分かったのか、後半では大内から背負いの連絡技を拙く繰り返していました。
もう少し一生懸命技を教えてあげればよかったと、これを書いていて切なく思われます。
子供たちに「ごめんなさい」と言わなければならないのはおやじの方でした。