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毎週 水曜午後は前院長の齊藤栄宏が診察しておりましたが、高齢のため引退いたしました。現在は診察は全て現院長の齊藤寛が行っております。予約制ではありませんがご希望の方は是非いらしてください。

2013年2月18日月曜日

崩しと連絡技 おやじ柔道(36)

 昨日は第6回福井県少年柔道オープン錬成大会が県立武道館で行われ、6年生にとっては最後の試合ということで熱戦が繰り広げられました。
幼年から6年生まで学年別の個人戦トーナメントで争われるこの大会、うちの坂井町柔道教室もほとんどの子供たちが出場し、3位2名、優勝1名とまずまずの成績だったのではないでしょうか。
 

優勝したのはうちのキャプテンで6年生のH本くんです。
県外から来た強豪を抑えての優勢勝ちでした。
優勝が決まった瞬間、感激の涙。
やはり苦労してここまでたどり着いたのでしょう。
小学生にしてこんな涙が流せるなんて本当にたいしたものだと思います。
3位の2名は同じ6年生のY木さんと5年生で次期キャプテンのG河くんです。
Y木さんはうちの指導者Y木先生の娘さんで、これまでH本くん同様、柔道にひたすら多感な時期を捧げてきました。親から見れば値千金のかけがえのない銅メダルだったでしょう。
同じく3位のG河くんも運動神経抜群ながら小柄な体格のせいでこれまで涙を呑むことが多かったのですが、今回の大会前に頭を5厘に刈り上げて臨んだ意気込みもあり、堂々の3位でした。
5年生でありながら体重30キロ台の小兵は柔道では大きなハンデです。
そのハンデを乗り越えた気迫はうちの娘たちも見習ってほしいものです。

さて、肝心のうちの娘たちですが、長女のマオは予想通り1回戦負け。
次女のリオは頑張って3回戦まで進出、ベスト8といった結果でした。
マオの柔道は腰が引けていて、前に煽られると立っていることが出来ず簡単につぶれて亀の状態になってしまいます。
組手争いも自分がいいところを持とうとする組手争いではなく、ただ相手の組手を嫌ってはたいているだけではっきり言って柔道になっていません。
日頃の打ち込みでは進歩を感じるものの、試合になると全くダメな方に自ら行ってしまっています。
確かに自分よりもキャリアが明らかに上だとわかると萎縮してしまいがちですが、そういう試合がこのところ続いています。
こうなると試合を重ねることで逆に弱くなっていくでしょう。
これまで実力が伴わないにもかかわらず、人が足りない理由で簡単に試合に出しすぎたのが裏目に出ているのかもしれません。
指導者のY木先生にも先日の羽咋の試合で言われましたが、「次につながらない」のです。
普段の練習態度から改める必要がありそうです。
今後のことを考えさせられました。

リオは2回勝って3回戦進出、というと聞こえはよいのですが、試合内容は全く褒められたものではありませんでした。
技を出すもののどれも掛かりそうにない技ばかりです。
攻勢の姿勢を評価されての優勢勝ちばかりでした。
最後の3試合目は、相手の大外刈りの刈り足はかわしたものの、上体の崩しだけで1回転してしまっての一本負けでした。
リオは指導のY木先生に言わせると「受けが強い」ということです。
しかし受けてばかりではたとえポイントを取られなくても勝てません。
受けの合間に攻撃を見せるのですが、そのどれもが言わば「掛け逃げ」の状態になっているのです。
相手の攻撃を止める効果はあるようですが、投げることはできません。
あと「受け」についてですが、相手との距離を一定に保つバランス感覚は見るべきものがあるようです。
それだけなので、体格で明らかに差がある相手には「受けの強さ」も通じず、一本負けしてしまうのです。
まだまだ柔の道は険しいと言わざる負えません。

マオはさておき、リオについては確実な技を教えることで目に見える成果が得られそうなので、明日につながる結果であったと思います。

しかし、柔道とは相手もあることですし難しいものですね。
今日、おやじのおやじ、すなわち私の父に試合のビデオを見せたところ「こんな柔道では10年やってもあかんわ。」とつれない返事。
あっけにとられ、その後むかつきました。
よく考えてみるとうちのおやじは柔道の素人なのです。
素人が柔道の試合を見てよく「技が出ない」とか「自分の組手なのに技に行かない」とかぬかしてますが、技に行かないのではなく、行けないのです。
そりゃそうです。
相手だって投げられるのが嫌だから一生懸命腕を突っ張って相手が入ってこれないように防御しているのです。
そこで必要になってくるのが、「崩し」と「作り」なのです。
その2つの工程を経てようやく「掛け」に行くことが出来るのです。
そして「崩し」と「作り」は傍から見ていて非常に分かりずらいことが多いのです。
そのくらい微小な動作、力の入れ具合の変化なのです。
従って、教えにくいと言えるのです。
おそらく柔道の才能があるといわれる者たちは、この「崩し」「作り」を誰に教わるでもなく肌で理解し、実践できる者達なのでしょう。
そういう自分、このへたれ柔道おやじもまだまだへたくそといえる領域なのですけれど。
そこで、万人が技に入れるように工夫されたのが「連絡技」です。
これは、技を掛けること自体が「崩し」になり、その後連絡する技の「作り」になるというものです。
そういえばリオも煽って崩すだけでは技に入れないことが試合中分かったのか、後半では大内から背負いの連絡技を拙く繰り返していました。

もう少し一生懸命技を教えてあげればよかったと、これを書いていて切なく思われます。
子供たちに「ごめんなさい」と言わなければならないのはおやじの方でした。

 

2013年2月15日金曜日

ついに雑誌に投稿 おやじ柔道 (35)

 先日、「医協フクイ」という雑誌に投稿しませんか、と医師協同組合の営業のH山さんに言われ、柔道ネタで書いてみるのもいいかな~と気軽に考えていたおやじはとうとうおやじ柔道の始まりから現在に至るまでを簡単にまとめて投稿することにしました。
「医協フクイ」とは医師協同組合の機関誌で二か月に一回発行される、薄っぺらい冊子です。
その中に「随筆」というコーナーがあって、福井県各地の医師が毎号1400字程度の堅苦しくない話を乗っけているというものです。
毎回投稿してくれる人を探すのに苦労しているらしく、ついにおやじにもその話が舞い込んだといったところです。
最初、「う~ん。そうですね・・・」などと言ってお茶を濁そうとしたら、反応がまずまずとみて熱心に勧められ、投稿となったのでした。
しかし、ブログのおかげで筆不精では無くなったとはいえ、1400字内にまとめるのは至難の業です。
案の定、規定を1000字ほどオーバーしてしまいました。
思えばおやじの苦闘の道のりを原稿用紙3枚半に収めるなど到底無理な話です。

ま、これまでの総括の意味を含め、校正前ではありますが投稿した内容をここに載せてみます。


47歳からの柔道

あわら市 齊藤 寛


 最近はまっていること、冒頭の柔道です。47歳からの・・・となっておりますが先日49歳の誕生日を迎えたばかりなので、柔道を始めてから1年半弱経過しております。始めたと言いましても正確には「再開した」です。それまで柔道は全くの素人だったかというとそうでもなく、実は医学部時代の私は柔道部でした。小学生の頃少年柔道を三国で、医大生のころ柔道部に所属して約6年間柔道をしており、一応初段でありました。学生時代には試合で内股という技を掛けに行った際、頭から畳に突っ込み頸椎を脱臼するという大怪我を負い入院、手術という大事になりました。その後は怪我を恐れたぱっとしない柔道生活のまま卒業引退を迎え、柔道をやることは生涯二度と無いであろうと思っていました。
  さて、そんな自分がなぜ今頃、この年齢(現在49歳、再開当時47歳)になって因縁の柔道を再開することになったのか。始まりは隣の家の子がスポーツ少年団に所属し、バスケを始めたことによります。その子の父親は元バスケットボールの選手で、現在チームの指導者となっています。「齊藤さんちは何かスポーツやらないの?」と嫁さんが尋ねられ、パパと一緒に楽しそうにバスケに興じる隣の子供を見て、「うちもパパと一緒にできるスポーツをやらせたい」となった訳であります。その時は正直、「絶対に自分はやらない、怪我するから」と断言していました。まず近所に少年柔道教室を探しました。最初に見学に訪れたところは、その日、土曜にたまたま練習をやっていた坂井町柔道教室で、柔道がどんなものかを子供に見せるために連れて行きました。そこは坂井武道場という、小さな体育館の半分を使って子供たちに柔道を教えていました。練習は夕方6時から約2時間。土曜日の夜8時からは成年の部といって中学生以上を対象とした柔道教室があることを知りました。白帯を締めたママさんが二人、柔道を基礎から教わっていました。坂井町少年柔道教室OBで坂井中の学生たちも参加していて、初々しい黒帯姿が眩しく見えました。同教室父兄の積極的な勧めもあり、結局その日に子供の入団を決めました。子供を柔道教室に通わせてみると、練習は週3回とかなりハードであることが分かりました。週一回程度で、スイミング教室と同じ感覚だった嫁はすぐに動揺を示しましたが後の祭りでした。指導者の若い黒帯の先生に自分も初段を持っていることを告げると「帯を持っているなら一緒にやられてはいかがですか」と気軽に誘われ、それではと自分も道着を押し入れの奥から引っ張り出して練習に参加するようになったのです。再開して間もないころに、毎週土曜日だけの練習では満足できず、県立武道館での一般成人向けに開講されている武道学園に申し込み、水曜、金曜の夜7時半から8時半にも練習することにしました。
 さて、本格的にやりだしてみると、最初は前回り受け身でひどい眩暈を覚えました。開脚前転、後転は股関節が硬くなっていて足が開かず出来なくなっていました。何より小学生との乱取りで少し動いただけで息が上がってしまうのです。手足の指の第一関節もすぐに捻挫を起こし腫れあがりました。それと、右肩が上がらないほどに痛むのです。これは以前には無かった事です。練習をしばらく休むと良くなっていきますが、練習するとまた痛むことの繰り返しでした。しかし、約一年経過した頃、不思議と痛みは消えました。それと柔道衣ですが、昔着ていたのは現状ではつんつるてんです。すなわちひどく縮んでいるのであります。また、帯ですが胴回りが太くなったせいでこれも短くなっていました。そんな訳で柔道衣と黒帯を新たに購入しました。
 その後、肘、膝の靭帯を痛めたり、腰を痛めたり、右ふくらはぎの肉離れで救急車にて搬送されるという経験もしました。受傷時バチーンという大きな音がしたので誰もがアキレス腱が切れたと思ったのです。救急車には同乗したことはあっても自分が搬送される側になるとは思ってもいませんでした。その甲斐あってか昨年5月に23年ぶりに昇段審査というものを受験し、有り難く弐段の末席に列することを許されました。
 弐段の免状を戴いたのちも変わりなく練習に励んでおります。一年を過ぎた頃から体もかなり慣れてきて今では三日連続で練習できるまでになりました。当初は練習に参加した夜は体がうずいて眠れず、翌日はまるで「おじいちゃん」のように動くのさえ億劫な状態でした。親からは「怪我したら即、生活にかかわるから止めろ」と険しい顔で言われ、嫁からは「誰も練習に参加してほしいと思ってないよ」と冷ややかな目で見られ、県立武道館では高校生から遠巻きに変人扱いされているようですが、誰のためでもなく自分だけのためにやっているのです。いつの間にか子供の柔道などどうでもよくなっています。とは言ってもやはり自分の娘の柔道は気に掛かります。今では小学3年と幼稚園年長組の二人の娘が柔道をしていますが、試合で勝った時は何より嬉しいのです。幼稚園の末娘が坂井町の大会、幼年の部でたまたま優勝した時など数日間地に足がついた心地がしませんでした。
 今では、坂井町柔道教室で土曜日は道衣を着てフル参加、火、木は気が向けば道衣を着て子供たちにちょっとした指導と胸を貸す形でやっています。水、金は毎回ではありませんがなるべく県立武道館へ行って柔道をしています。以前は柔道部でありながら柔道はあまり好きではなかったような気がします。しかし、年を取ってからの柔道は全く違います。心も体も稽古することで毎回生まれ変わったかのように爽快になれます。中性脂肪やコレステロール値にも覿面の効果です。今では柔道衣と帯は自分の大切な宝物です。誰か一緒に柔道をやりませんか。

2013年2月7日木曜日

試合とインフルエンザ おやじ柔道 (34)

インフルエンザがとうとう我が家にも襲来しました。
うちの嫁さんが月曜から痰がらみの状態となり、火曜には微熱、嘔吐、水曜は朝から38度台の熱発と全身倦怠でダウンです。
昨日、午後はうちのおやじの診療日で僕はフリーなため、自宅にインフルエンザの診断キットを持ち帰り、テストしてみるとうっすら緑のラインが浮かび上がりました。
インフルエンザA型陽性です。


夕方からタミフル開始となりましたが本日朝もまだ具合が悪いらしく、娘を学校まで僕が送っていった次第です。
先だっての日曜に石川県の羽咋というところで、少年柔道大会が行われ、僕と長女のマオは泊りで、嫁さんと次女のリオは当日朝早く自宅を出て応援に駆けつけるというイベントがありました。
会場は立錐の余地もないほどの混雑ではありましたが、発症が月曜日と考えると感染はそれ以前の、金曜日のリオの小学校の制服合わせの時だろうということです。

試合は報告する気も起きないほど我が家のマオは惨敗、秒殺だったのですが、家族にインフルエンザが発症すると子供たちもなんともなくても練習を休まねばなりません。
症状が出てなくても感染している可能性があるからです。
そんなわけで今週は練習を休ませることにしました。
来週は大きな大会がまたありますが、これも致し方ないところでしょう。

しかし、子供たちも以前は虚弱体質間違いないところでしたが、最近は柔道のおかげかめっきり丈夫になりました。
マオなど小児ぜんそくで入院一歩手前まで行ったこともありましたが、今ではすっかり良くなりここ数年発作も起きていません。
ぜんそくの治療もとっくの昔に終了してしまいました。
リオはまだぜんそくの治療が続いています。
といってもオノンという抗アレルギー薬を飲んでいるだけなのですが。
リオはまだ幼稚園生で小さいせいか、今期の冬はずっと鼻がぐずぐずいっています。
副鼻腔炎です。
こいつに嫁のインフルがうつるとちと厄介なことになりそうです。

さて、今回の休みは子供にはいい息抜きになりそうですが、今ノリノリのおやじにとってはなんともないのに一週間柔道から遠ざかるなんて耐えがたいことこの上ないのです。
せっかく出来てきた体も腐ってしまいます。

というわけで、なんとか明日の県立武道館へは行けたらいいなあと願っているおやじでした。

2013年2月4日月曜日

帯のこと おやじ柔道 (33)

今回は帯についてです。
以前にも投稿しましたが、帯も柔道衣同様、いやそれ以上に多くのバリエーションがあり、その幅や長さも含めると多岐にわたると言えます。

まず種類ですが、どこかのショッピングサイトから拝借しますと、

並黒帯
葛城を使用した生地です。朱子、洋八に比べ柔らかく締めやすくなっています。
朱子黒帯
表面に光沢のある生地です。芯も並黒より厚くしっかりとした仕上がりになっています。使用し始めはすべるのでほどけやすいですが、ふちがはげ易いので比較的早くなじみます。
洋八黒帯
上質の綿(グログラン織)を使用した生地です。
芯も並黒より厚くしっかりとした仕上がりになっています。使用し始めから比較的ほどけづらく、ふちもはげづらいので、なじみ易く、また永くお使いいただけます。
本絹黒帯
文字通り絹を使用した最高級の生地です。表面はしっとりと光沢があり、上品な仕上がりになっております。朱子に比べ使用し始めから締めやすくなっています。
 
ざっと以上です。
たいていの人は朱子帯をしているようです。
自分が持っていて使用しているのはやはり朱子帯でして、購入した順に紹介すると、
  1. ミズノ全日本モデル47㎜幅朱子帯

余裕をもって5号(295cm)を購入しましたが長すぎたようで、すぐ後悔することになりました。
しかし、一か月も使うと早くも馴染んできて手触りなどは最高と思えるようになりました。
厚みははっきり言ってありません。
ペラペラですが、何となく重量感があります。
 
2.九桜JOGS特製(厚芯入り)黒朱子帯 肉厚タイプ4.7cm
ミズノの帯が長すぎて妙に気になりだしたので、九桜の重厚な帯にしました。
しかし、これもいまいち。
厚芯と謳っているだけあって厚みはあるのですが、重量感に欠けるのです。
中身がスカスカの気がしていまひとつ好きになれませんでした。
 
3.ISAMI 日本製/黒洋八帯厚芯・47mm 

これは、ずっしりして洋風八丈織でざらざらしており、使い込めばさぞかし愛着の持てる帯だと思いました。
これは頑張って県立武道館での練習では必ず締めていくようにしてました。
が、見ての通り柔道帯ではありません。
「空手帯」なのです。
最初はそんなこと気になりませんでしたが、さすがに自分が柔道に精通するにしたがって「これ、やっぱりまずいんじゃないの」と思い始めました。
ぼろぼろになってしまえば同じなんでしょうが、そうなるまでに何年かかることやら。
 
坂井柔道教室では九桜を、県立武道館ではISAMIの洋八帯を頑張って1年間使いましたが、いかんせん二本併用では使い込んでぼろぼろになるには至らず。
それでもそこそこいい味は出てきだしたのですが。
 
 
昨年、秋も終わりに近づいたころ、ふとミズノの帯を手に取ってみるとえも言われぬ良いさわり心地、やはりミズノだと思い始めました。
しかし、長い。
厚めの帯は結び目が大きくなるので、短めになりますが、ミズノは薄いため、結び目は大きくならずことさら長くなってしまいます。
そこで、もう一本ミズノを買ってしまいました。
それがこれ。
 

知る人ぞ知る愛媛県のフクヤスポーツというショップをネットで見つけて、全日本の選手がしているという裏抜け無しの手振り刺繍というのが気に入ってしまったのです。
刺繍は大きめで申し分ありません。
しかも、帯の真ん中には黒で裏抜け無しの「根性」の文字を入れました。
実はこれ、今密かに流行っているのです。
柔道金メダリストの野村忠弘選手が、帯の真ん中に黒で「執念」と入れたのがきっかけです。
締めるとちょうど結び目で隠れてしまいますが、帯の真ん中に目印があると締めるとき便利なんですよ、これが。
値段は7700円ぐらいかかってしまいましたが、もうこれ一本でいこうかと思っています。
まだ新しいせいか手触りなどは今一つなんですけれど。
あまりかっこばかり気にしても仕方ありませんからね。

また、なぜ「根性」の文字かというと、これには深い訳が個人的にあります。
小学校の卒業記念アルバム作成の時、クラスごとに寄せ書きをしました。
その時、座右の銘を皆書くことになっていて僕は「根情」と書きました。
そうです。
「根性」の「性」を「情」と間違えて書いてしまったのです。
アルバムが皆に配られ終えてから、うちのおやじがそれに気付きました。
それから烈火のごとく怒り、担任や、教頭先生の家に夜遅く押しかけて大騒ぎになりました。
僕の大切な思いでのいっぱい詰まった卒業アルバムは子供の気持ちも顧みられず処分されてしまいました。
それ以来、履き違えた僕の「根性」は生涯忘れられない言葉となったのです。
 
ちなみに、同じミズノの帯を二本並べて比べると、なぜか最初に買った帯のほうが幅が細く思われました。
 
そんなはずはないと物差しで測ってみると先に買った帯が45mm、後に買ったものが47㎜と確かに違います。
同じ品番で同じもののはずなのにおかしいと思いましたが、よく思い起こすと洗うことで5~6cm縮むという話を聞いて夏の暑いかんかん照りの日に帯をさっと水につけて天日干ししたことを思い出しました。
長さが短くなるのはいいとしても、せっかく幅広の帯を買ったのに細くなっては意味がありません。
縮むのは長さだけでなく、幅もなんですね。
帯はやはり洗ってはいけないようです。
ちなみに、ISAMIの洋八帯と九桜の幅広肉厚帯も同様に洗って干したのですが、こちらは5~6cm短くなったのみで、幅は変わっていないようです。
 
帯の話は以前にもしているのでこのくらいにしておきましょう。